饒舌で気持ちが高ぶってる日

 

愛しさ

自分のことが嫌いというより嫌いなところがめちゃくちゃ多いだけで自分が愛しくてたまらないんだけど、これは何故なんだ?と前から思っていて。今日も考えてたけど、好きな人間の欠点が愛しく思えるのと同じなんじゃないか?と思った。

例えば俺は好きな人間(アイドルやら俳優やら)の欠点とか短所、所謂外見だったら肌荒れとか顔のむくみとか、内面だったら気弱なところとか怒りっぽいところとか、その他にも本人にとって良くない過去とか不適切な言動をした過去とか、そういうのがすごい愛しいと感じる。もしかしたら好きな人間が人を殺したって愛しいと感じるかもしれない、好きな人間が人を殺したことがないのでわかりませんが。

そういうのと同じで、自分のことが愛しいというのが前提としてあって、その前提があるからこそ自分の精神的弱さとか、不適切な言動とか、見た目の醜さとか、そういうのを愛しく思えてしまうのではないか?自分の短所や欠点はもちろん嫌いだし、嫌いだと感じる。ダメな自分が好きかと言ったらそういうことではない。自分を愛しく思う気持ちと、自分を好きになるということはまったく別のことだと思う。

自傷してる自分は愛しいけど嫌いだ。生きたいからこそ何とかごまかして生きてる自分が愛しい、他にどうしたらいいかわからなくなってる自分が愛しい、弱い自分が愛しい、無力で無意味な自分が愛しい。かわいそう、同情の気持ちもあるかもしれない。自分を愛しいと思う自分のことは嫌いかもしれない。

 

自分を大切にしてるかと言ったら微妙だ、最近は本を読んでみたり映画を観てみたりかなり甘やかしてる。その時間は楽しいけど、生きるのが難しいしやめたいという問題の解決には繋がらないような気がする。自分に対して不器用かもしれない、自分が望むこととかが理解できてないかもしれない。

自分は正常だと思ってる、まともだと思ってるけど、思いたいだけかもしれない。精神科に行った方がいいと言われて通院していたこともあるし、俺が思ってるより自分は大丈夫じゃないのかもしれない。なかなかこう、うまくいかないことが多すぎる。甘えてるだけかもしれない、にしても事実としてつらい気持ちになるし、生きてるのがすごく嫌になったりする。しっかりとした治療を受けたら改善するかもしれない。でも改善しなかったら?それは完全に俺の甘えということになるはず。甘えだとしても甘えるのをどうやってやめたらいいのかよくわからない。

 

知識

そうなんだよな、いろんなことがわからないんだよな、知識が足りてないのかもしれない。自己分析が足りていないのか。知識がないと目の前のものが何なのかすらわからない。目の前のものが何なのか理解してから、それをどうするか調べられるのかもしれない。自分を理解してない、自分が何なのかわかってない。知識が足りないということがわかったとして、今から、明日から、何をしたらいい?それもわからない。

 

誰と考えたらいいのか?

一人で考えてるからダメなのでは?他人の意見を聞くべきな気がしてきた。俺を手伝ってくれる存在が必要かもしれない。それって誰だよ。支援団体か、友達か、親か。親はダメだよな、俺の話を聞かないし、何より親より俺の方が賢いはずだ。友達、友達の人生の中の貴重な時間を俺のクソみたいな相談に費やすのか?それも良くないと思う、友達を巻き込んではいけない、友達が大切だと思うからこそ頼れない。俺は友達のことがすごく好きで、故に俺の友達になんかならなかったら良かったのに、と思う。俺みたいな人間と関わってしまった友達がかわいそうだ、ごめんねという気持ちになる。すごく好きだから。支援団体ってなんだかよくわからないけどたぶんゴミだ、偏見だけど絶対ゴミだよ、どうせゴミだ。

 

高校時代、ろくに学校に行かずほとんどの時間を図書館で過ごした。駅の賑やかじゃない方にある綺麗ででかい図書館、いろんな本を読んだ。

最近は本を読む気力が戻ってきた、数年前と同じような単なる躁期間だったら秋くらいに一気に落ち込んで自殺するかもしれない、先のことはわからないし俺はどうせ自殺なんかしないだろうけど。

本を読むべきかもしれない、自分みたいな生きるのが嫌になってる人間の伝記みたいな。映画もいいけど心の中で思ってることがなかなか見えてこない。

スチュアートの本を買った。映画もきつかったのに本を買った、俺は鬱になって死にたいのか、潜在的な自殺願望の表れかもしれない。そんなのはどうだってよくて、スチュアートのことをもっと知りたくて、映画ではわからなかったことを知りたかった。なんで知りたいのか、知ってどうするのか、いろいろ思ったけど単に知的好奇心が旺盛なだけな気がする。興味があるんだよな、スチュアートに。

 

饒舌

今もう酔いは覚めてるし風邪薬も飲んでないんだけど、妙に饒舌だ。たくさん話したい気分。

母親のウォーキングに付き合っていろいろとくだらない話をした、「大麻が解禁になったら国民の幸福度は上がるんじゃないか」とか「煙草はよくない」とか「アルコールは一番手軽で一番よくない」とかそんな話。親に自分の話をするのは嫌いだけど、こういうどうでもいい話をするのは楽しい、というか親じゃなくても自分の話を他人に聞かせるのは好きじゃないかもしれない。俺の話をしたってつまらないし。俺はすごくつまらない人間だと思う、俺の人生の退屈さは俺がいるからな気がする、俺さえいなくなれば俺の人生は楽しくなるはずなのに、な。俺さえいなかったら良かった、いろんなことが、いろんなことがもっと良くなってたよ。

 

すごいだらだらと長文書いたけど、寝て起きた明日の俺はこの日記を理解してくれるだろうか。昨日の自分が嫌いだって毎日思う、明日の俺もたぶん今日の俺を嫌うと思う。理解してほしい。